ミランブログ

2011年からのミラニスタです。アイドルはズラタン。ミランの試合や面白い試合の分析というか感じたことなどを書いていきたいと思います。

結果と内容、情熱と戦術。先の見えない混沌の中に希望はあるのだろうか

石の上にも3年ということわざがありますが、人の意志というものは弱いもので大抵は3日坊主になってしまうのがオチというものです。石の上にも3年、3日坊主、3日天下などなど、そういえば、ことわざには3という数字を使ったものが多い気がします。3という数字は何かの節目として区切りが良いのでしょうか?

 

さて、ミランがCLの舞台から去って5年という月日が経ちます。5%だった消費税は8%、そして10%になってしまいました。時が経つのは早い。消費税は上がったが依然としてミランがCLの舞台に舞い戻る確率は上がりません。

とはいえ、14-15、15-16、16-17シーズンは末期のベルルスコーニ政権。流石にあの時期のミランに飛躍を期待するのは酷でしょう。あれはノーカウントにしましょう。ベルルスコーニ政権が終わり、中華ミラン。そして今はエリオットミラン?いや、誰のミランなのでしょうか。分かりません。すみません。

 

17-18、18-19、19-20と今シーズンはベルルスコーニ政権が終わってから3年目。上記した通り3という数字が節目を表す数字ならば、今年は節目の年なのです。節目である今シーズンは果たしてCL出場に値するチームになっているでしょうか?残念ながらCLにはほど遠いというのが現状であります。順位表を見れば16位。勝ち点は6試合で6。得点は4。そして何より6試合で4敗という数字は多くのミラニスタを落胆させるには充分過ぎる数字であり、今シーズンのCL出場争いが終戦に近いということを悟らせます。少なくともベルルスコーニ政権が終わって中華ミランに変わったときは3年以内には少なくともCL出場できるチームになっているだろうとミラニスタは信じていたはずです。確かに昨シーズンはCLまで後1歩のところまで来ました。昨シーズンのミランは正しい道を歩んでいたのでしょう。しかし、今シーズンは何だか17-18シーズンをもう一度見ているような気分になります。1歩進んで1歩下がってしまったのが今シーズンという私の認識です。

 

3年後のミランが何も進歩していないと想像した人があのとき居たでしょうか。居たとは全く思えません。とはいえ、進歩したものが無いと言えば嘘になります。負債額や切った監督の首の数は増えましたが、どれもネガティブなものばかりで、ポジティブな進歩はほぼ皆無と言って間違い無いでしょう。話になりません。

 

さて、Twitterの方では散々ジャンパオロについてネガティブなことを言い続けている私でありますが、ここでジャンパオロに抱いている不信感というものを言語化しておこうと思います。

 


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最近ガットゥーゾとジャンパオロの比較論がTwitter上でよく見られます。ジャンパオロには明確な戦術があって、ガットゥーゾには情熱しかないというような意見も見られます。確かにガットゥーゾはジャンパオロほど監督としての引き出しは少ないかもしれませんし、時間をかけたからといって面白いチームが作れるとは思いません。実際私もそんなサッカーに嫌気がさして昨シーズンCL権を取ってガットゥーゾには勇退してもらうべきだと言いました。

 

しかし、ガットゥーゾとジャンパオロを比較するのはナンセンスだと思います。確かにガットゥーゾの引き出しは少ない。ただ、少ないながらもそれらを全て使い、戦えるチームへとミランを導いてくれました。イブラヒモビッチチアゴ・シウバの移籍と多くのレジェンドが引退した11-12シーズン以降ミランには以前あったビッグクラブらしい決定的な何かが失われてしまっていました。決定的な何かというものが勝者のメンタルなのかそれとも他の何かなのかは私には分かりませんが、それでも何か決定的なものが失われてしまった気がするのです。しかし、ガットゥーゾミランではその失われてしまった決定的な何かがチームに戻ってき始めた気がしていました。

 

ただ、それでもCLという舞台に返り咲くにはガットゥーゾでは足りなかった。この世は結果が全てです。あのタイミングでの監督交代に異論はありません。ガットゥーゾが成し得なかったことを成すためにミランが選んだのがジャンパオロでした。あと一歩、小さいようで大きいあと一歩を踏み出すために....しかし、現実というものは残酷で今シーズンは早くも絶望のシーズンとなってしまいそうです。

 

確かにガットゥーゾよりジャンパオロの方が持っている引き出しは多いのかもしれません。しかし、ジャンパオロはその多くを使いきれていない。持っている引き出しを使いきれてない時点でガットゥーゾとジャンパオロを比較するのはナンセンスだと思うのです。ジャンパオロは時間がかかる監督だから引き出しを使いきれていないのは仕方ないのかもしれません。しかし、我々は腐ってもACミランなのです。時間がかかるから仕方ないで済まされるクラブではありません。ジャンパオロ解任というワードが出るのも不思議ではありません。

 

そもそもジャンパオロは監督として優秀なのでしょうか?結果を出したことが無いという事実はミラニスタを不安にさせるには充分過ぎます。確かにジャンパオロの率いるサンプドリアは魅力的なチームだったのかもしれません。とはいえ、EL争いにもまともに食い込んで来なかったという事実は完成されたジャンパオロのチームの戦術にもある程度の欠陥があるということを表しているのではないでしょうか。そもそもジャンパオロはガットゥーゾに負け越しています。しかも、2回も同じようなハメられ方で。ジャンパオロは自分の哲学を過信するあまり、相手が対策してくるところまで想定に入れて動くようなタイプの監督で無いのではと思います。自分たちが志向するサッカーが出来れば必ず勝利に繋がると信じているのではないでしょうか。流石にセリエAのチームを率いる監督がその様なチープな視点でサッカーを理解しているとは思いませんが、過去3試合のサンプドリアとの試合と今シーズンのジャンパオロを見ているとそんな気がしてなりません。ジャンパオロを見ているとモンテッラを思い出します。今のモンテッラフィオレンティーナで素晴らしいサッカーをしていますし、ジャンパオロもビッグクラブの水が合っていないのかもしれません。

 

もう1つジャンパオロに難色を示している理由が私にはあります。それは引き継ぎの難しさについてです。これは私の偏見なのですが、ペップやサッリなど、自分の確固たる哲学を持つ監督の後任監督は中々苦労するという偏見を持っています。ペップ→アンチェロッティそして、ジャンパオロ→ディフランチェスコなど結果を出すのに苦労する監督が一定数いるというイメージがあります。(サッリ→アンチェロッティなどの例もあり、一概に言いきれるわけではない)というわけもあって、仮にジャンパオロのスタイルが浸透してきても素直に喜べるか分からないというのが本音であります。ただ、これが暴論だというのは重々理解しております。

 

さて、ミランが一切進歩していないのは誰のせいなのでしょか。恐らく誰か1人の責任ではないのでしょう。誰か1人の責任ならばそいつをどうにかすれば話は終わりですが、残念ながら話はそう簡単ではありません。ただ、ジャンパオロは猛烈な批判をされ、マルディーニ任命責任があるなど、ちらほら批判が聞こえてきます。しかし、ガジディスの批判が聞こえてこないのは不思議なことです。

 

確かにガジディスの若手路線は今のミランには合うと思います。ミランには完成された選手を買う金はありません。しかし、チームに貢献できるベテランの選手をチームに入れないというガジディスの施策は果たして正しいのでしょうか。適切なベテランが居てこそ若手選手は伸びるのではないでしょうか。特にミランのように難しいチームなら尚更。30歳を越えた選手を獲らないというガジディスの施策は理解出来ません。その上、若手路線は万能の解決策ではなく、実際にはいくつかの落とし穴があると思っています。現在が辛いミランにとって未来に希望が持てる若手路線は確かに合っています。しかし、若手選手という存在はゲームの世界のように期待通り成長するとは限りません。その上、仮に若手が期待通り成長したとしてもガジディスの施策の先にあるのはその選手の売却です。果たして別れに慣れていないミラニスタが期待通りに育った選手の売却を受け入れられるでしょうか?私には受け入れられるとは思いません。必ず揉めると思います。このように若手路線には落とし穴も多いというのが私の考えです。

そして、ミランがレオナルドと決別してしまったのも納得出来ません。レオナルドの施策だと経営的に危ないというのは理解出来ます。中華ミランが残した負債はこれからミランが正しい道を歩んでいくには大き過ぎました。しかし、レオナルドは優秀です。今期のPSGのスカッドはレオナルドが帰還したことにより、より一層強く、バランスの良いものになっています。サッカーは経営だけでは語れません。ピッチでの結果が何より重要です。そう考えるとレオナルドという魚を今のミランが逃したのは大きすぎたのではないでしょうか。本当に悔やまれます。 

 

ミランには若い選手が多い上に、経験豊富とは言えない監督が指揮するチームだから時間がかかる。これは理解出来ます。目先の結果を追い求めてすぐに以前と同じようなレベルのチームには戻れない。そんなことは重々理解している。しかし、これは3年前から言っていたことであってそこから全く進歩していない。次の3年もその次の3年も同じセリフを吐いている気がしてなりません。そんな未来は絶対に嫌です。しかし、不安なのです。

 

それでも、ミランという組織なりに勝つための努力はしているのでしょう。しかし、否が応にも結果というものは残酷にその努力が正しいものなのかどうかを我々に突き付けてきます。努力は裏切らないという言葉がありますが、あれはある意味本当でもあり、そして嘘でもあります。結果の出ない努力を残念ながら人々は努力と呼んではくれません。頑張っただけでは評価してもらえません。結果があってこそそこまでの努力が努力だと評価されるわけです。だから、努力は裏切らないのは当たり前なのです。結果を見てから過程を評価するから。サッカーを観ていると内容は良いけど、結果が出ないということを聞くことが多いですが、それも同様でしょう。結果が出ないのに内容が良いなんてことは絶対にありません。何かしら欠陥があるから結果がついてこないわけです。全てにおいてこの世界では結果が重要なのです。

 

ミランには時間が残されていません。結果こそが復権には必要です。観ていて面白い魅力的なサッカーをするチームは好きです。しかし、ミランに関して言えばそんなチームより、例え、泥水をすすっでも勝利を勝ち取るような狡猾なチームになって欲しいというのが願いであります。ミランならば出来ると信じています。信じるしかありません。赤い悪魔を信じようではありませんか。同じ赤い悪魔に魅力された者同士として....

 

拙い文章でしたが、最後までお読みいただきありがとうございました。